≪ キリンビール横浜工場の沿革 ≫ |
日本におけるビール醸造「事始め」につきましては諸説ありますが、横浜の外国人居留地「山手」に開国後すぐの明治2年、
在留外国人の手により「スプリングバレー・ブルワリー」として早くも創設されたようです。その後、ビール事業が将来有望で
あると見込んだこれも横浜山手の在留外国人たちにより、1885(明治18)年7月、スプリングバレー・ブルワリーの跡地に
「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を設立、さらにのちにジャパン・ブルワリーの重役になる貿易商人トーマス・ブレーク
・グラバー(T. B. Glover)の尽力で、岩崎彌之助(三菱社社長)をはじめ日本人9人が株主として参加しました。
ジャパン・ブルワリーは、最新の醸造機械と蒸気設備を備えることと、醸造技師に熟練したドイツ人技師を招聘することを徹底
して、本格的なドイツ風ビール醸造を志しました。そして三菱の荘田平五郎の発案で東洋の霊獣“麒麟”をラベルに採用して、
1888(明治21)年5月に「キリンビール」を発売しました。なおラベルのデザインは翌年6月にグラバーの提案で変更され、現在
のデザインの原型となりました。 この山手にあった工場は関東大震災により甚大な被害を受け、その後現在の生麦に移設され
たとのことです。
今回の探訪ではその開国以来の歴史を受け継ぐ「キリンビール横浜工場」の近代的な醸造所を見学し、その醸造過程を学び、
出来立ての美味しいビールと、ビールに合うお料理を味うことを趣旨と致しました
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≪ 工場見学 ≫ |
≪ 先ずはビールの原料の説明から始まります ≫ ≪ 手前が「麦芽」、緑のが「ホップ」です ≫ |
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≪ 皆さん興味津々、麦芽とホップをほおばっております (^_-)-☆ ≫ |
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≪ 仕込みの過程を最新の技術を使いゲーム感覚で実感できる説明に、皆さん思わず童心に帰る?! ≫ |
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≪「麦芽の糖化」⇒「麦汁ろ過」⇒「煮沸」⇒「発酵」⇒「貯蔵・ろ過」⇒「パッケージング」という過程を
映像やパネル、プロジェクションマッピングなどを使って説明受ける皆さん ≫ |
さ~て、お立合い!「一番搾り」と「二番搾り」麦汁の飲み比べ!
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≪ 皆さん真剣そうに味わっています ≫
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≪ 試飲タイム ≫ |
≪ さあ、お待ちかねの試飲タイム到来! 暑い一日でしたからね~さぞや待ちくたびれ喜びもひとしお!(^^)! ≫ |
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≪ キレイなお姉さまに注いで頂くと
うまさもひとしお (^^)/ ≫
しかし注ぎ方上手やな~ |
≪ やれやれ、やっと飲ませてもらえるわい ≫ |
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≪ やっとひとごこち・・・☺ ≫
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≪ しかも「一番搾り」はリニューアルされたばかり!タイミングもよし、楽しそうに出来立ての「生」を嗜む皆さん (^^♪ ≫
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≪「酒文化」が誇るキレイどころ6人衆!皆さんいい笑顔と飲みっぷり~ ☺ ≫ |
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試飲タイムでは
・「一番搾り」
・「一番搾りスタウト(黒ビール)」
・「一番搾りプレミアム」 の3種の
「生」が無料で 頂けます!(^^)! |
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≪「試飲タイム」ではビールの注ぎ方も教わりました ≫
「3回に分けて綺麗な泡を作るんですよ~」と研修生の畠中さん |
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≪ 記念撮影 ≫ |
工場見学が終わったところではいパチリ、皆さん満足そうな笑顔!(^^)! |
後列左より、 熊谷、岸、伊豆、青木、小高、井上、髙瀬
中列、 磯貝、渡邊、袰川、中江、鈴木、谷口、金森
前列、 永井、山田夫君、小幡、山田、城戸、小幡夫人
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歴史と伝統に溢れるビール工場でその製造過程を学び、出来立てのフレッシュな生ビールを思い切り堪能し、お料理
もたっぷり頂きました。蒸し暑い晩夏の午後のひとときを大変ご満足戴けたことと存じます。遠方にもかかわらず
今回の奮ってのご参加まことに有難うございました。 (余談ですが・・・解散後も三々五々連れ立って近くの居酒屋
で熱燗で〆られた方も多かったとか? さすがの酒豪揃い!と感服 (-_-;) |
酒文化探訪の会 代表世話人 永井 春夫 : 世話人 髙瀬 俊次 ・金森 康泰 ・山田 知英子
アドヴァイザー 小幡 健一 |
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